大陸旅行
十一、王立協会の講義
王立協会でやっている講義は三種類で、これはファラデーの時代からずっと引続いて同じである。
クリスマスの頃に子供のために開くやさしい講義が六回位ある。また平常一週三回位、午後三時からの講義があって、これは同じ題目で二・三回で完了することが多い。それから金曜の夜の九時からのがある。これが一番有名なので、良い研究の結果が出ると、それを通俗に砕いて話すのである。現今ではここで話すことを以て名誉として、講師には別に謝礼は出さないことにしてある。それでも、講師は半年も一年も前から実験の準備にかかる。もちろん講師自身が全部をするのではない、助手が手伝いをするのではあるが。
これらの講義は、著者も滞英中、聴きに行ったことがある。聴衆は多くは半白の老人で、立派な紳士が来る。学者もあり、実業家もある。夫婦連れのもあるが、中には老婦人だけ来るのもある。自働車で来るのが多いという有様で、上流の紳士に科学の興味があるのは喜ばしいことではあるが、昔のファラデーを想い起すというような小僧や書生の来ておらないのには、何となく失望を禁じ得ない。会員は多いようである。会員外の人は聴講料を出す。かなり高い。二回で半ギニー(十円五十銭)位であったと思う。一回分が丁度芝居の土間位の金高である。
十二、出立
ファラデーが助手となって、六個月ばかり経つと、ファラデーの一身上に新生面の開ける事件が起った。それはデビーが欧洲大陸を旅行するという事件で、デビーはナポレオン皇帝から特別の旅券をもらい、夫人同伴で旅行する。そしてファラデーを書記として伴うことになった。
一八一三年九月に旅行の話が定まり、十月十三日ロンドンを出発し、同一五年三月二十三日に帰るまで、約一年半の間、フランス、イタリア、スイス、オーストリア、ドイツを巡った。
ファラデーはこのとき二十二才の青年で、最も印象をうけ易い年頃であったから、この旅行より得たものは実に莫大で、単に外国を観たというのみでなく、欧洲の学者を見たり、その話を聞いたりした。丁度普通の人の大学教育に相当するのが、ファラデーではこの大陸の旅行である。
十三、フランス
この旅行についてファラデーは委細の記事を残した。これを見ると、デビーの友人の事から、旅行中の研究もわかり、これに処々(ところどころ)の風景や見聞録を混じているので、非常に面白い。
ファラデーはロンドンに育ったから、市外の青野を見ていたばかりで、小山を山岳と思い、小石を岩石と思っていたという次第である。それゆえロンドンを立ってデボンシャイアに来たばかりで、もう花崗石だの、石灰石だのという、ロンドンあたりでは見られぬものが地上に顕(あら)われて来たので、これが地盤の下にある岩石かと、その喜びと驚きとは非常であった。また海を見るのも初めてであり、ことにフランスの海岸に近づくと、熱心に南方を眺め、岸に着いては労働者を見て、文明の劣れる国だと驚いた。
それから税関の騒擾(そうじょう)に吃驚(きっきょう)したり、馬車の御者が膝の上にも達する長い靴をはき、鞭をとり、革嚢(かくのう)を持っているのを不思議がったり、初めてミミズを見たり、ノルマンヂイの痩せた豚で驚いたりした。
パリではルーブルを見て、その寳物を評して、これを獲たことはフランスの盗なることを示すに過ぎずというたり、旅券の事で警察に行ったら、ファラデーは円い頤(あご)で、鳶色の髪、大きい口で、大きい鼻という人相書をされた。寺院に行っては、芝居風で真面目な感じがしないといい、石炭でなくて木の炭を料理に使うことや、セイヌ河岸にいる洗濯女から、室内の飾りつけ、書物の印刷と種々の事が珍らしかった。
学問の方面の事を書いて見ると、デビーの所へアンペアやクレメントが来て、クルトアの発見したXという新しい物を示し、これを熱すると美しい菫(すみれ)色の蒸気が立ちのぼった。それからアンペアがこの見本をよこしたので、デビーはファラデーを相手に実験をはじめた。この物が何であるかということをフランスの学者は秘密にしておったが、後には海の草から取るという事だけ漏らした。これはヨウ素なのだ。
パリを立つ前に、ファラデーはナポレオンをちょっと見た。馬車に乗って、黄鼬(テン)の大きな長衣を着こみ、頭には天鵞絨(ビロード)の帽子を戴き、鳥の羽がさがりて顔もほとんど見えないばかりであった。この外にフンボルトにも逢い、またゲー・ルーサックが二百人の学生に講義をしてる所をも見た。
入力:松本吉彦、松本庄八 校正:小林繁雄
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